R・ウィリアムズ サンフランシスコ湾に散骨される

[サンラファエル(米カリフォルニア州) 21日 ロイター] - 今月11日に63歳で急死した米俳優ロビン・ウィリアムズさんの遺灰が、その翌日にサンフランシスコ湾にまかれたことが、死亡証明書で明らかになった。

同文書はサンフランシスコ湾岸地帯北部のマリン郡が21日公表した。

R・ウィリアムズさん、サンフランシスコ湾に散骨される より

終活なんておやめなさい

終活なんておやめなさい (青春新書プレイブックス)
ひろさちや
青春出版社
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「終活なんておやめなさい」(青春出版社)の著者で、仏教学者のひろさちや氏が言う。

「終活する人にとって、葬式をどうやって行うかは、大きなテーマです。

<オレの葬式だから、オレがやりたいようにやるんだ>ともっともらしいことを言いますが、葬式は死者の仕事ではありません。遺族が自由裁量で行うものです。

仏教の経典によると、その遺族が望まなければ葬式をやらなくていいと解釈できます。

葬式をやらなくてもいいということは、お釈迦様の“お墨つき”なのです。

でも、日本中のお寺で葬式が? 

あれは、お坊さんや葬儀屋の営業努力のたまもので、仏教の教えではありません。

終活で葬式についてあれこれ指示するのはやめた方がいい」

終活ブームに喝! 仏教学者が断言「葬式、墓、戒名は不要」 より


日本の葬儀を語る際に、前提として“仏教”をベースに考えるから、訳がわからなくなると思うのです。

クリスチャンでもないのに、12月24日にお祝いのケーキを食べるように、多くの日本人は死んだらなんとなく“お坊さん”を呼んでいるに過ぎない、とわかっているにもかかわらず、まだ“仏教”をベースに考えてしまっています。

もはや仏教ではありません。そこに宗教性はありえません。

宗教としてではなく、自己流の文化・生活様式において、死んだらお坊さんがお経を読んでくれる…という生活様式のオプションくらいに考えると、これは「仏教」の縛りにとらわれずにすみます。

つまり、お経はいるけど戒名はいらない、戒名はいるけど逆にお経はいらない…だって、仏教徒ではなく、お葬式のオプションなのだから…と非常にわかりやすくなります。

別に日本人全員が上のようにした方がいいとは思いません。もちろん、純粋に仏教を信仰している人は、仏教徒としての葬儀を執り行うべきです。

しかし、純粋に信仰対象としての仏教を信ずる日本人は、いったいどれくらいいるでしょうか?

様式としての仏教式の葬儀と教義としての仏教を取り違えるがために、現在のお葬式は混乱しているのだと思います。

※ただし、正確に言えば、仏教において葬儀や戒名に関する教義などといったものはないのですがね

戒名や布施の値段ほど実態が見えないものはない

しぶしぶ戒名をもらうのだからトラブルも多く発生している。終活をする自分だけでなく、遺族や親族がトラブルに巻き込まれることも少なくない。

最近のエンディングノートの中には戒名についてリクエストを書く欄があるものがある。そこには「戒名につけたい文字」「戒名のランクの希望」などが書き込めるようになっている。

しかし、仏教の考え方では、戒名をつけるのは僧侶。宗派によって、戒名の構造や使える文字などに決まりもある。本人や遺族の希望を聞くことはあっても最後に決めるのは僧侶の仕事なのだ。

「自分らしい最期を迎える」ためにさまざまな準備をすることは終活にとって大切なこと。しかし、戒名には故人の遺志や遺族の考えでは、どうにもならない部分がある。ゴリ押しするとトラブルになりかねない。遺族が困ってしまうケースも出るだろう。

戒名や布施の値段ほど実態が見えないものはない。教義のうえ、あるいは建前のうえでは「お気持ちで」ということになる。最近になってインターネットでは戒名や布施にかかる実際の値段や目安が各所に露出するようになった。だが、同じランクの戒名の目安でも、数万円と書いてある所もあれば、数十万円を提示している所もある。

遺族の立場からすれば、故人が亡くなって数日しかたっていない悲しみの中で難しい判断を迫られることになる。そして、後悔につながるケースもある。

「位牌・布施」寺とのトラブル多発 値段あいまい、あてにならない見積もり より


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