ひろさちや
青春出版社
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「終活なんておやめなさい」(青春出版社)の著者で、仏教学者のひろさちや氏が言う。
「終活する人にとって、葬式をどうやって行うかは、大きなテーマです。
<オレの葬式だから、オレがやりたいようにやるんだ>ともっともらしいことを言いますが、葬式は死者の仕事ではありません。遺族が自由裁量で行うものです。
仏教の経典によると、その遺族が望まなければ葬式をやらなくていいと解釈できます。
葬式をやらなくてもいいということは、お釈迦様の“お墨つき”なのです。
でも、日本中のお寺で葬式が?
あれは、お坊さんや葬儀屋の営業努力のたまもので、仏教の教えではありません。
終活で葬式についてあれこれ指示するのはやめた方がいい」
終活ブームに喝! 仏教学者が断言「葬式、墓、戒名は不要」 より
日本の葬儀を語る際に、前提として“仏教”をベースに考えるから、訳がわからなくなると思うのです。
クリスチャンでもないのに、12月24日にお祝いのケーキを食べるように、多くの日本人は死んだらなんとなく“お坊さん”を呼んでいるに過ぎない、とわかっているにもかかわらず、まだ“仏教”をベースに考えてしまっています。
もはや仏教ではありません。そこに宗教性はありえません。
宗教としてではなく、自己流の文化・生活様式において、死んだらお坊さんがお経を読んでくれる…という生活様式のオプションくらいに考えると、これは「仏教」の縛りにとらわれずにすみます。
つまり、お経はいるけど戒名はいらない、戒名はいるけど逆にお経はいらない…だって、仏教徒ではなく、お葬式のオプションなのだから…と非常にわかりやすくなります。
別に日本人全員が上のようにした方がいいとは思いません。もちろん、純粋に仏教を信仰している人は、仏教徒としての葬儀を執り行うべきです。
しかし、純粋に信仰対象としての仏教を信ずる日本人は、いったいどれくらいいるでしょうか?
様式としての仏教式の葬儀と教義としての仏教を取り違えるがために、現在のお葬式は混乱しているのだと思います。
※ただし、正確に言えば、仏教において葬儀や戒名に関する教義などといったものはないのですがね
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